新潟地方裁判所 昭和45年(わ)261号 判決 1971年2月17日
主文
被告人を懲役八月に処する。
本件公訴事実第三のうち、同第二の交通事故について被害者を救護するなど法令の定める必要な措置を講じなかつた点および右事故発生の日時、場所等法令の定める事項を直ちにもよりの警察署の警察官に報告しなかつた点につき、被告人はいずれも無罪。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、
第一、自動車運転の業務に従事していたものであるが、昭和四四年九月一二日午前〇時一〇分ころ、普通貨物自動車(新四や四七三五号)を運転して新潟市上大川前通七番町一二四三番地付近の道路を、西堀方面から下大川前通方面に向け時速約五〇キロメートルの速度で進行し、同番地先の交差点を直進しようとしたが、当時右交差点の対面する信号機の信号が赤色の点滅を表示していたのであるから、このようなばあい自動車運転者としては、同交差点の直前で一時停止すると共に前方、左右を注視し、左右の道路からの車両の交通の有無を確め自己の進路の安全を確認して進行し、もつて出合頭の衝突などによる事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、被告人はこれを怠り付近の地理不案内のため、脇見をして前方注視不十分のまま漫然と同一速度で進行した過失により、同交差点に進入する直前に至つてはじめて右信号の表示に気付くと共に折から右方道路から同交差点に進入してきた長谷川孝平の運転する普通乗用自動車を右斜め前方約一八・二メートルの地点に発見し、あわてて急制動の措置をとつたが間に合わず、同車の左側後部に自車の右前部を衝突させ、その衝撃により同車に同乗していた佐藤則子(当時三〇歳)に対し、加療約一五日間を要する頸部挫傷の傷害を負わせた。
第二、その直後、自車から降りて、同じく乗車車両から降りてきた右長谷川孝平(当時二二歳)およびその同乗者らと共に、同所付近で右事故について話し合いをしているうち、右交差点の中央付近にあつた自車を脇へ寄せようと考え、「車を寄せるから待つてくれ。」といつてこれに乗り込んだところ、これを見た長谷川の連れが被告人が逃走するものと思い、「逃げると悪いからつかまえれ。」といい、長谷川がこれに応じて同自動車に近づくや、とつさにその場から逃走しようと考え、長谷川が同自動車の助手席付近に手をかけて発進を制止しようとしていたため、そのまま自車を発進させれば同人を転倒させて傷害を負わせるかも知れないことを知りながら、あえてそのまま自車を発進させたうえ時速約二〇キロメートルの速度にまで加速したため、その場から数メートルはなれた同市上大川前通八番町一二四五番地先の地点で、それまで同車につかまつて走り出していた長谷川を路上に転倒するに至らせ、よつて同人に対し全治約五〇日間を要する右肘、両肩胛部、両膝打撲擦過傷、後頭部打撲傷、頸部捻挫、左側胸部打撲傷の傷害を負わせた。
第三、前記第一記載の日時と場所で、前記の自動車を運転中、前記のように佐藤則子を負傷させる交通事故があつたのに、
一 被害者を救護するなど法律の定める必要な措置を講じなかつた。
二 右事故発生の日時、場所など法律に定める事項を直ちにもよりの警察署の警察官に報告しなかつた。
(証拠の標目)(省略)
(法令の適用)
罰条につき(いずれも懲役刑を選択する)
第一の行為
刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号
第二の行為
刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号
第三の一の行為
道路交通法七二条一項前段、一一七条
第三の二の行為
道路交通法七二条一項後段、一一九条一項一〇号
併合罪の加重につき
刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(第二の罪の刑に加重する)
(一部無罪の判断)
1 本件公訴事実の第三の一および二は、判示第三の一および二に認定したとおりの「公訴事実第一(判示第一)の交通事故について被害者を救護するなど法令の定める必要な措置を講じなかつた事実および右事故発生の日時、場所等法令の定める事項を直ちにもよりの警察署の警察官に報告しなかつた事実」のほか、「被告人は公訴事実第二(判示第二)の交通事故(傷害)について被害者を救護するなど法令の定める必要な措置を講じなかつた事実およびその事故発生の日時、場所等法令の定める事項を直ちにもよりの警察署の警察官に報告しなかつた事実」(道路交通法七二条一項前段および後段違反の事実)を含んでいる。
2 そこで後者の各事実について、その犯罪の成否を以下に検討する。
関係証拠によれば、被告人が判示第二のように、現場から逃走しようとした際、被害者長谷川孝平を転倒させて傷害を負わせるかも知れないことを知りながら、あえて自車を発進させて同人に判示の傷害を負わせたこと、すなわち未必的な傷害の故意をもつて同人に傷害を負わせたことならびに被告人はそのままその場から逃走して右の被害者を救護するなどの措置を講じなかつたことおよび警察官に所定の報告をしなかつたことが明らかに認められる。
3 ところで、この場合まず右のように逃走のため自動車を発進させて被害者を転倒させて負傷させたことが道路交通法七二条一項にいわゆる「車両等の交通による人の死傷」があつたときに当るか否かが問題となる。本件についてはその前後の経緯にも徴すれば、被告人が判示第一のように自車の運行中交通事故を起した後、引き続いて自車を運行させて逃走しようとした際これに随伴して被害者を負傷させたものであるから、このような場合もまた右法条にいう「車両等の交通による人の死傷」があつたときに当るものと解するのが相当である。
4 つぎに、本件は車両の交通によるものであるにしても、未必的な故意をもつて被害者を負傷させた場合であるところ、車両等の交通によるものであつても故意に人を死傷させた場合になお道路交通法七二条一項前段による被害者の救護等の措置を講ずる義務があると解すべきであろうか。この点については見解の対立があり、これを肯定する立場もあるが、故意に人を死傷させようとした者に対してその被害者を救護するなどの措置を講ずる義務を負わせることは、同一の意思主体としての犯人に対して事実上前後矛盾した行動に出ることを法律上義務づけることになり、犯人にとつてかような行動をとることを一般に期待することは困難であるから、車両等の交通によるものであつても、故意に人を死傷させた場合には死傷に対する責任と別個に前記法条による被害者の救護等の措置を講じなかつた責任は問うことができないものと解するのが相当である。そうだとすると、本件は未必的なものではあるが、故意に被害者を負傷させた場合であるから同様傷害の責任と別個に被害者を救護するなどの措置を講じなかつた責任は問うことができないものといわなければならない(なお、大審院大正一五年一二月二三日判決(刑集五巻五八六頁以下)および東京高等裁判所昭和三七年一〇月八日判決(東高判決時報一三巻一〇号二三九頁以下)のうちには、被害者の救護または報告義務は事故発生についての故意過失の有無を問わない旨の判示部分があるけれども、これらは事故発生について被告人に故意過失がない場合にこれらの義務を負わすべきか否かが問題とされた場合であるから、本件とは事案を異にして本件には適切でない)。
5 つぎに、判示第二の交通事故(傷害)について警察官に所定の報告をしなかつた点について考える。
道路交通法七二条一項後段の警察官に対する報告義務は、単に同条同項前段の被害者の救護等の義務を補充し、またはこれに附随するに止まるものではなく、これとは法律上別個の意義を有するものではあるが、本件については、右に説示したように被害者の救護等の措置を講ずる義務を理由づけること自体ができない場合である以上、これについて警察官に対する所定の報告義務を負わせることもまたできないものというほかはない。
6 そうだとすると、本件公訴事実第三のうち、同第二の交通事故(傷害)について被害者を救護するなどの措置を講じなかつた点および警察官に所定の報告をしなかつた点については、いずれも犯罪の証明がないことに帰するから、これらの事実については刑事訴訟法三三六条により被告人に無罪の言渡をすることとする。
そこで主文のとおり判決する。